| 山路昭平氏が亡くなりました 投稿者:宮崎 健 投稿日:2011/05/25(Wed) 08:12 No.737 | |
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2011年5月25日午前6時20分、山路昭平氏がU型呼吸不全で亡くなりました。83歳。葬儀は無宗教で、山路家と産経新聞社、岡山放送、サンケイリビング新聞社の合同葬。葬儀委員長は清原武彦産経新聞会長。喪主は洋子夫人。 通夜 27日(金)午後6時ー7時 告別式 28日(土)午前11時ー午後0時30分 いずれも横浜市金沢区谷津町384 「京急メモリアル金沢文庫斎場」(045-784-9833) 京急金沢文庫東口駅前。 自宅は横浜市金沢区谷津町40-88 通夜では馬見塚達雄氏、告別式では松村幸夫氏がそれぞれ夕刊フジを代表して弔辞をささげます。 ◇◇◇ ご存知の通り癇癪もちでしたが、山路さんらしい最後でした。3か月前に自宅で転倒して肋骨骨折、入院後今度はベッドから転落(本人が暴れたのが原因)肋骨7本を折ッたうえ肺出血を起こし一時は危篤状態に陥りました。
そのご意識不明のまま入院、治療を続けていましたが、ゴールデンウイークにはもしやということもあり、夕刊フジOBは馬見塚さんを連絡役に見舞いも控えて待機していました。
18日ようやく退院、自宅治療を続けていました。退院と言うので周りも安堵したのですが、まだ意識はさだかではなく、会話や意思疎通などもほとんどできず、食事も以前から本人が「拒食症」状態なので家族(おもに夫人)が「胃ロウ」という方法で管で胃に直接栄養分を注入するという手のかかる自宅治療法を続けました。亡くなる直前、ふたたび容態が悪化、救急車が呼ばれましたが例によって、大丈夫だから帰れ、と本人は救急隊員に命令する始末。
自宅前で救急車に乗せるまで1時間以上かかるという騒ぎを演じた挙句、無理やり運ばれたものの肺気腫などの既往症があり、表記の病名のほかたくさんの病名が並んでいました。枕頭で「おっさん、これは自損行為でっせ」と言いましたが、いつものように青シャツ専科のダンディーな寝顔でした。
私事ですが、創刊時「このゴシップを載せるような新聞なら会社を辞める」といったら、原稿をその場でゴミ箱に放り込んでくれたのが山路さんでした。私が最後まで新聞記者としての人生をまっとうできたのは、山路昭平という理不尽ではあるが一本筋が通った編集者のおかげだと思っています。
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